日本2012–

うなぎの寝床

地場の織物を、もんぺという日常着に翻訳する

課題

福岡・八女のある筑後地方には、久留米絣をはじめ多くのものづくりが残っています。 けれど産地は縮み続けてきました。 久留米絣の織元は、最盛期の1957年に312軒。うなぎの寝床が2019年に織元を取材した記事では、20数軒まで減っています。 技術は残っているのに、日常で使われる出口がない。 工芸が「守るもの」と呼ばれ始めたときには、衰退はもう進んでいます。

アイデア

うなぎの寝床は2012年、産地の入り口となるアンテナショップとして始まりました。 看板商品のMONPEは、農作業着だったもんぺを現代の日常着に仕立て直したものです。 鉱夫の作業着だったジーンズが日常着になったように、もんぺにも同じ道があるはずだ、という見立てです。 彼らは自らを「地域文化商社」と名乗ります。 作り手と使い手の間に立ち、土地の歴史を紐解き、企画から販売までを引き受ける。 織物を「守る」のではなく、売れ続ける日常着に「翻訳」しました。

結果

MONPEは久留米絣にとどまらず、各地の産地の生地を日常で試せる「フォーマット」に育ちました。 2011年に始まった「もんぺ博覧会」は、回を重ねながらいまも続いています。 直営店は八女の本店から福岡市、愛媛へと5店舗に広がりました。

リサーチの視点

工芸の支援は、しばしば「伝統を守る」から始まって、行き止まります。 うなぎの寝床は、守る前に「日常で使う理由」を設計し、売れる状態をつくってから産地に返しました。 文化を商いの言葉に翻訳する職能の、際立った実例として収録しました。

MODEL
伝統の技を生業に戻す
THEME
持続可能 / ソーシャルグッド
SOURCE
unagino-nedoko.net ↗
最終確認
2026.08.05

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